なぜ昔の日本はあの侍ヘアスタイルだったのだろうか?

 2020年 06月 04日


時代劇でしかお目にかからなくなった髪型「ちょんまげ」。
「侍独特のヘアスタイル」が始まった理由は何なのだろうか。
幕末に来日した欧米人は、あのサムライスタイルに衝撃を受けたそうです。
しかしあの奇抜なヘアスタイルに何の疑問も感じず、数百年も続けてきた我々日本人。
今回は、なぜ、あのような変わった髪型文化が日本に定着したのか調べていきます!

なぜ「ちょんまげ」はあのような形をしているの?

男子は古代から頭に冠や烏帽子を着用するのが一般的であり、その中に髪を纏めて入れたため、髪を纏めたのが髷の原型です。古代には冠などの中に入れるため、結って上に立てていました。
まげが広く普及したのは飛鳥時代。冠位十二階制の導入により官吏は冠をかぶることになりました。
冠位十二階は、日本で最初の冠位制度で、冠名は徳・仁・礼・信・義・智で、大・小に分けた12階ありました。各階に紫・青・赤・黄・白・黒の色を定めました。
冠位を与えられ、冠をかぶるようになった人々は適した髪型として、髪を頭頂部に結い上げる「まげ」が広まったのです。
冠は後ろの部分が縦に細長くなっていて、まげがきちんと収まるようになっている。当時、人前でまげをさらすことは恥ずかしいとされていたが、冠をかぶることによって、まげを隠すことができたのです。

武士の時代のさかやき(月代)

さかやき(月代)とは、江戸時代以前の日本にみられた成人男性の髪型において、前頭部から頭頂部にかけての、頭髪を剃りあげた(抜き上げた)部分を指します。
この『月代』と呼ばれる頭頂部の毛がないヘアスタイルが定着した理由は2つほど考えられます。

説1:
月代の出現は平安時代末期のことであり、中国では北宋と南宋が交代する時期でした。
ちょうどこの時代には女真族が台頭して金国を建国しており、中国との貿易でやってきた日本人に対して、女真族のヘアスタイル、弁髪を「中国で最も流行しているもの」と刷り込む中国人がいた可能性があります。
そして、当時の日本人が「先進的な中国人に学ぼう」と考えてそのスタイルを持ち帰り、それが流れ流れて月代になったと説があります。

説2:
中世に入り武士の世の中になると、武士は戦のときに兜をかぶって戦いましたが、湿度の高い日本では、戦闘中、兜をかぶっている頭が蒸れてしまいます。その蒸れを防ぐ結い方として考えられたのが、ちょんまげでした。
なんと、クールビズだったんですね!!
やがて、江戸時代になり、太平の世が訪れると、武士だけでなく庶民もこぞって月代を作った髷を結い始めるようになりました。ただ、髷の結い方も身分によって違いがありました。
浪人などは月代を作らなかったそうですが、これは単にお金がなかったためであるとか、主君を持たないため兜を被る機会がなかった(=戦に出る機会がなかった)からであるともいわれています。
丁髷は明治4年(1871)断髪令が出たのち廃れ、現在では力士などが結うだけです。

ハゲ部分の月代(さかやき)は抜いていた!!

昔の武士は毎日激痛に耐え、血だらけになりながら頭頂の毛を抜いていたそうです。
戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、合戦には武士が頭を血だらけにしていると記しています。
ただ、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた頃からはカミソリで優美な形に整えられるようになり、日本男子達もやっとこの苦行から解放されたんですね。

最後に

現在では、時代劇や力士でしか見られない、ちょんまげ、侍ヘアスタイル。
今回は、雑学でしたね。
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重要なのが「650nm」という低出力レーザーだということ。
640nmだとか、680nmだとかいう出力のレーザーではなく、臨床実験で結果を出し、FDAから認可がおりているのは650nmのレーザーなのです。
ヘアマックスは、「650nmのレーザー育毛器具」。
650nmという数値であるからこそ、抜け毛を抑制することができ、抜け落ちた髪の毛を再び取り戻すことができるのです。
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レーザー育毛機を使って薄毛対策を検討されている方には、ヘアマックスがおススメです。